2025年12月の法語掲示板

自分で自分は見えない
他なる力によって初めて見える   (『あなたに贈る言葉’25』( 仁愛大学))

「自分のことは自分がいちばんよく知っている」そう思うかたが多いかもしれません。
ある方は、人生に行き詰まり、深く思い悩んでいました。「この苦しみは自分しかわからない。誰にもわかってもらえない」そう思って、心を閉ざしていました。

しかしあるとき、仏教の教えを伝えてくださる先生に出会いました。その先生のお話を聞いていると、「私より先に、私と同じ苦しみを、苦しんできた人がいた」と知るのです。それはほかならぬ先生ご自身です。先生は苦しみのなかから教えを聞き、教えを語られました。仏教の教えとは、苦しみを乗りこえてきた人の智慧の結晶なのです。だからその方は、「私より私を知る人がいる」「私の苦しみをわかってくださる人がいる」と気づきました。それから、苦しみが無くなるわけではないけれど、「自分自身を生きていこう」という歩みが始まったのです。

自分は、自分の関心の範囲でしか物事が見えません。それは自分自身についてもそうです。自分の外側から知らされて、初めて自己の姿が見えるということがあります。そんな自分の狭いものさし(自力)で自己が見えていない私たちに、自分の外側からそのことを知らせる智慧のはたらきを「他力」(本願力ともいう)といいます。私たちは鏡で顔を見て、初めて顔にゴミがついていることに気がつけます。その鏡のようなものが他力と言えるでしょう。

世間では「他力本願」というのは、”自分の主体性を放棄して、他人任せにする”というような意味で使われますが、本来の意味はむしろ逆なのです。自分中心の狭い世界に閉じ籠もって自己を見失っている私たちに、「この足下で光っている確かな自己を発見せよ」と呼びかける阿弥陀仏の願い(本願)を聞き、ほんとうの主体性を取り戻していく生き方を、「他力」や「本願」という言葉を通して伝えているのです。

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