2026年5月の法語掲示板

悲しさ かみしめていこう そこに人は光る      (岡本禮子)

3月にも紹介した岡本禮子(れいこ)さん。その生涯は決して平坦ではなかった苦難の人生であったとお聞きしています。しかし、ご自身の苦悩に立ち、生涯お念仏の教えを通して、自己の生きる道を聞き開いて行かれた人生でした。

幼い頃は、戦中、戦後を金沢五郎島(ごろうじま)の貧しい農村で暮らし、病気で働けない父の苦悩と、母の過酷な労働で、苦悩の坩堝(るつぼ)のような家庭であったそうです。しかし十七歳で暁烏敏(あけがらすはや)師を通して親鸞聖人の教えに出会い、苦悩を確かめていく場が開かれたのでした。共に暁烏師のもとで学ぶ仲間であった岡本精一さんと結婚し、その直後から自宅を開放して、仏法の会座(えざ)を開かれました。

「仏地(ぶつじ)の上に家庭を開く」家庭と聞法(仏の教えを聞くこと)が別れることなく、仏の教えが聞こえる中に身を置く生活を大事にされました。それは決して綺麗事ではありません。生活の中にはさまざまな苦しみ、悲しみがあります。普通はそれを無くそうとします。しかし無かったことにできない苦悩があるでしょう。苦しみ、悲しみという大地にしっかりと足をつけて歩むということがどういうことか、伝え聞く禮子さんのお姿は、私たちにそのことを示してくださいます。お念仏の生活とは、苦悩を無くすことではなく、その苦悩を無駄にしない生活だということを教えていただくように思います。

夫精一さんの死に直面したときには、深く悲嘆され、心臓病も悪化するなかにあって、悲嘆に埋没するのでもなく、悲嘆を無くすのでもなく、その真っ直中で、なお一層道を求めていかれました。晩年、寝たきりになってもベッドサイドで聞法を続け、そのベッドサイドには有縁(うえん)の方々が集まり、ベッドの周りが仏法の会座になるという、希有な場を開かれました。その苦しみ、悲しみを通して、一層輝いていかれたということを、身を持って教え伝えてくださっています。

娘の山西睦子さんは、亡き母について、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)となって、私たちを力づけ、「小賢(こざか)しい分別(ふんべつ)や我執(がしゅう)を破って、本来の清浄なるみずみずしい命に帰れ」と呼びかけ続けてくれているように思われます」と語られています。

私たちは、「小賢しい分別や我執」に立って、自己中心の生活の中で、本来の”いのち”を見失い続けています。どうにもならない境遇にぶつかった苦しみ、最愛の人を失った悲しみ、そのような悲嘆を縁として、同じ苦悩を生きた人の尊い姿に出会い、人間として生きる”いのち”に深く出会っていくということがあります。

人間として生まれたからには、この生涯のうちに何としても知らなければならない尊さがある。その尊さに出会い、苦悩の生涯を光にしていかれた人が、確かにおられるのです。


●受念寺からのお知らせ

◇住職継承法要 (兼 永代経法要・兼 先代住職一周忌法要)
5月9日(土)午後2時〜(場所:受念寺本堂)

◇おあさじ(晨朝法要。朝のおつとめのこと)[第4土曜日]
5月23日(土)午前7時半〜 (15分程) (場所:受念寺本堂)

「生きること」を学ぶ会−医療と仏教の交差点で”いのち”の声を聞く−
5月23日(土)午後2時〜3時半(場所:念々堂(寺に併設の図書館))

◇仏教書の輪読会 [第2金曜日]
6月12日(金)午後2時〜(場所:念々堂)

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