2026年9月の法語掲示板

答えは世界を閉じる 問いは世界を開く (東本願寺 研修道場)

誰しも、答えがあると安心します。「なるほど、わかった」と言いたいものです。例えば「人生とはこうあるべきだ」「幸せとはこういうものだ」そうはっきり答えを示されると安心して、それに向かって生きていこうと考えます。

しかし、答えを持つということは、一方ではとても怖いことでもあります。

「私はしょせん、こういう人間だ」と決めてしまえば、まだ知らない自分に出会う機会を閉ざしてしまいます。「アイツはこういうやつだ」とレッテルを貼れば、その人を自分の決めつけの中でしか見られなくなります。

医療や介護の現場でも、「この人は認知症だ」とわかったつもりになることで、その人の発している「生の声」に耳を閉ざしてしまうことがあります。

 また、人生の幸せについて、例えば「健康であることが幸せだ」という答えを握りしめれば、その裏側には、「病気であることは不幸だ」という答えが生まれます。ときに病気を抱えて生きる人生に、もはや意味を見出せなくなってしまうことさえあります。

 そんな私たちに対して、「本当にそうなのか」と問いかけるのが阿弥陀さまです。「あなたが思っているあなたは、本当にあなたのすべてですか?」「あの人は、本当にあなたが思っているだけの人ですか?」「あの人のあの言葉は、本当に認知症だからですか?」「病気であることは、本当に不幸なだけなのでしょうか?」

そういう問いかけが聞こえたとき、私自身を歩ませる「問い」が生まれます。「私が私として生きるとはどういうことだろう」「あの人の言葉には、どんな意味があるのだろう」「病を抱えながら生きる私にとって、生きるとはどういうことなのだろう」——「答え」を握りしめていたときには見えなかったものが、もう一度見えてくる。「問い」に応じようとするなかで、実は自分見えていた世界よりも、はるかに広い世界があったのだと気づかされるのです。

東日本大震災で、妻と一人息子を亡くした男性が、このような言葉を残していました。

「最愛の妻と/生まれたばかりの一人息子を/大津波で失いました。/いつまでも二人にとって/誇れる夫・父親であり続けられるよう/精一杯生きます。/被災されたみなさん、/苦しいけど、負けないで!/名取市職員S」(名取市役所内、安否確認の掲示板)

妻と一人息子を亡くすという、言葉では言い表せないほどの悲しみ。その悲しみが消えるわけではありません。しかし、もう人生に意味はないと世界を閉ざしてしまうのではなく、「誇れる夫、父親であるとはどういうことか」と問い、その問いに応える歩みを始められたのです。

 「答え」ではなく、「問い」を持って生きる。それは、「わかっていない」という自分に立って生きることなのではないでしょうか。自分のことも、他人のことも、人生のことも、「わかった」と決めてしまえば、そこで世界は閉じてしまいます。しかし、「本当はどうなのだろう」と問い続けるところには、まだ知らない自分との出会いがあり、まだ知らない他者との出会いがあり、これまで見えていなかった人生の意味との出会いがあります。

本当のことを知りたいと願い、その問いを大切にして生きていく。問いを持つとは、答えがないまま立ち尽くすことではありません。自分の答えで世界を決めつけることをやめ、阿弥陀さまのはたらきに照らされて、世界と、他者と、そして自分自身と、何度でも出会い直していく。そういう生活が、「お念仏の生活」として大事にされてきたのではないでしょうか。


受念寺からのお知らせ

◇英会話教室(初級)[第1土曜日]
9月5日(土)午後2時〜(場所:念々堂(寺に併設の図書館))

◇仏教書の輪読会[第2金曜日]
9月11日(金)午後2時〜(場所:念々堂)

◇「生きること」を学ぶ会−医療と仏教の交差点で”いのち”の声を聞く−[奇数月の第3土曜日]
9月19日(土)午後2時〜3時半(場所:念々堂)

◇おあさじ(晨朝法要。朝のおつとめのこと)[第4土曜日]
9月26日(土)午前7時半〜 (30分程) (場所:受念寺本堂)

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